コロナ対策に思うこと

コロナウィルス、そろそろ収束すると思っていたのにますます広がってきましたね。きっと検査体制が整ってきて、今まで確認できなかった感染者が顕になってきただけなのかもしれませんが、イベント中止や学校休校など自粛ムードが緩くなってきていますので、これから新学期に向けてますます感染者が増えていくかもしれません。オリンピックも延期になったり、事態は想像以上に深刻なものかもしれないですね。

相変わらずマスクはまだ店頭に並んでおらず…マスクは予防には効果がないといわれていますが、今回のコロナウィルスは潜伏期間が長いこと、陽性反応があるのに症状がないので気付かないうちに感染者を増やしているらしいので、万が一自分が気づかないうちに感染していて、気づかないうちに誰かにうつしている可能性がなくはないので、なるべくマスクはしておいた方がいいと私は思います。

マスクもシャープさんが液晶のラインでマスクを製造され始めたり、企業も努力されていますが、とりあえずは政府に納めて必要なところからとなるので、私たちが入手できるのはまだまだ先になりそうですね。我が家のマスクはもう少しありますが、これからのことを考えてマスクの内側にお茶パックを開いてそれを何回か替えて2日使ったり、お化粧してマスクすると汚れてしまうので、最近はお化粧もしていません。というかマスクで隠してます(笑)。それでも足りなくなったら煮沸消毒ですかね…?とりあえず知恵と工夫で乗り切らないといけないですね。

 

今日東京都では今週末、不要不急の外出は自粛するように要請がありました。仕事の方もあるのでどれくらいの効果があるのかわかりませんが、今はそれが感染者を爆発的に増やさない唯一の方法ですので仕方ないのかもしれません。イベント自粛や学校休校についても賛否両論あって総理もちょっと気の毒に思ってしまいましたが、この国のリーダーとしては当然の判断だったのではないかな。

 

イベントに行ったからといって感染する可能性はさほど高くはないと思いますが、もしもし万が一一人の感染者がいて、うつってしまったらかなりの確率で家族にもうつしてしまいます。子どもたちにうつしたら学校も休校になるでしょうし、主人にうつしたら会社の支店全員が2週間営業停止になるそうです。高齢の母にうつしたらあっという間に重症化して、付き添いもさせてもらえず命の危険もあるでしょう。肺炎にかかると水に溺れたような地獄の苦しみだそうですよ、怖いですよね。そして何より怖いのが人の目です。まるで犯人のように誰が感染したのか特定されてしまい接触した人、行った場所全て聞き出され、検査を受けさされ、仕事もしばらく営業停止となるでしょう。どれほどの方々に迷惑かけてしまうことか…それが仕事上のことなら仕方ないのですが、娯楽の部類だと非難は避けられないですね。

滅多なことはないですが、こんなリスクが少しでもあるのなら我慢しようと私は思ってしまいます。

 

でも、それぞれ立場が違うし、考え方も違うので色んな意見があって当たり前ですので、イベントやライブを開催したり参加する人を無責任、非常識だと非難するべきではないし、また非難する人を非難してもいけないと思います。それぞれ大切なものが違いますから。ただ、自己責任で…というにはあまりにも責任が重すぎ…というか責任とれないですね。

 

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私も楽しみにしていたバックナンバーのファンミーティングが中止になってガッカリしましたが、開催されてもやめておこうと思ってましたので、中止として料金の払い戻しがあって少しホッとしました。

そのかわりに今日、8月の大阪城ホール公演のDVDが発売されたので早速購入。ライブで聴けたらもっと良かったけど、今はこれで充分です。

お出かけできなくても本を読んだり、家で映画みたり音楽聴いたりたくさん楽しいことはあります。コロナウィルスに振り回されず今しか出来ないことを楽しみましょう!

 

 

父の法要

つきちゃん、シャンプーしてきましたよ。

さらさらいい匂いになりました。

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可愛いチョーカーをつけてもらい、少しは女の子らしくなったかな。

 

昨日3月21日は父の四十九日法要でした。

自粛ムードの最中、父と血の濃い親戚は皆高齢ですので、その旨伝えた上で私たち親族と若い方4名だけお声かけして実家の仏間で法要を行いました。 最後のお坊様のお話では、今まで先頭を走っていてくれた父が亡くなり、次は自分が先頭になって走っていかないといけないのだから、その時が来た時に動じないよう、先人の背中をしっかり見ておかないといけない…  というようなことをおっしゃってました。

本当に…  まさに今そう思います。父は突然のことだったのもありますが、父は終戦直後の10歳で父親を亡くし、どん底から必死で頑張ってきた人ですので、人一倍生きる力と知恵を持っていて、学歴はなくても商売のこと、政治のこと、経済のこと、法律のことなど、生きていく上で必要なことはよく勉強していましたので、いつも父に甘えてばかりで、わからないことはなんでも聞いて、アドバイスしてもらっていました。急にこんなことになって戸惑うことばかりです。商売のことも今までこんなことをしてくれてたんだとか、気付かなかったことも多くて、改めて父の凄さに頭が下がります。

 

法要の後はみんなで貴船のべにやさんに行ってきました。本当は親族だけで家で何か用意して食べるつもりでしたが、先日父とは50年来のお付き合いのあるべにやさんの女将さんと若女将さんがお悔やみにきてくださり、父の遺影の前で大泣きされていました。そんなこともあり今回べにやさんでお世話になったわけですが、広いお部屋を用意してくださり、父に陰膳をお供えしてくださったり、心尽くしのおもてなしをしていただきました。父も喜んでくれたかな。

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右手のガラス戸を開けると貴船川。夏になると川床が作られます。街中よりすずしくて、川の流れる音を聞きながら食事でき、蛍の時期など風情があっておすすめですよ。私も祖母の法事で行って以来22年ぶりです。

父は自分のことではお金を使うことはあまりなかったですが、お葬式があると遠くても必ず参列し、法事はケチることなく皆をもてなすのが好きな人でした。そんなこともあってか、家族葬で親戚しか知らせていませんでしたが、葬儀後にたくさんの方が実家までお悔やみに来てくださりました。

父の戒名は「釋 篤壽」。壽は父の名前ですが、篤は厳しい中にも情が深いという意味があるそうです。この戒名の通りの父だからたくさんの方に惜しまれながら立派な仏様になられたと思います。四十九日までに何らかのかたちで会いに来てくれると期待していましたが、一度も会いに来てくれませんでした。私が毎日爆睡しているから気がつかなかったのかな?(笑)。

 

 

ホワイトデー

3月14日はホワイトデー。

実家の和菓子屋では今日のホワイトデーに奥さんからここのいちご大福をリクエストされたと、結構たくさんの方からご注文いただきありがたいことでした。10年ほど前かな、始めたころはいちごに餡をあわせるなんてありえない!って感じで、1日に数個しか売れなくて試行錯誤しながらでしたが、年々お客様が増えて嬉しい限りです。

さて、我が家のホワイトデーは昨日旦那さんが、以前買ってきてくれたキャラメルタルト(昨日すでに食べましたが…)と今日はバームクーヘンをいちごと生クリームでアレンジしていただきました。

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つきちゃんには煮たりんごをお花のようにしましたよ。

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もちろん瞬殺…(笑)

相変わらず食いしん坊なつきちゃんです。

でも昨日は机の上に置いてあった2センチ角程のチョコを包み紙ごと食べてしまいました。

最近実家のお店が忙しいもので帰宅が遅くなり、慌ててご飯を作っている最中、いつもつきは私がキッチンに立っていると直ぐ横にいるのですが、逆にいない間に作ってしまおうと放っておいた10分ほどの間にこっそり別部屋でチョコを食べていて、近くに包み紙の破片が落ちていました。慌てて口を開けさせましたがすでに飲み込んでいて、歯にチョコらしいものがついていました。

チョコレートは犬にとっては中毒症状のでる危険な食べ物で、絶対たべさせてはいけません。致死量は体重1キロにつき板チョコ1枚と以前に聞いていたのでさほど慌てるほどの量ではないですが、何しろ中毒症状が出る量も個体差がありますので、念のため診察時間を待って病院に行ってきました。

病院では吐き気をもよおす注射をしてもらい、三分後には3回吐きました。初めの吐瀉物には明らかにチョコの感じでしたね。2回目、3回目でチョコを食べる30分に食べた物が…  看護師さんに晩ご飯はささみとお豆腐と煮大根を食べましたね〜って言われてちょっと恥ずかしかったです。

今回ご飯を食べた後でしたのでスムーズに嘔吐できたとはいえ、しんどかったと思います。私の不注意でしんどい思いをさせてしまって本当申し訳ないなぁって。今回大事には至らず良かったですが、気をつけないといけないですね、反省です。

 

家族

最近のニュースはコロナウィルスのことばかりで、色々な情報が入ってきます。もうすでに普通に手に入るようになりましたが、一時期トイレットペーパーが店頭から消えて皆が必死に探していましたね。我が家はショッピングモールが近いので、基本トイレットペーパーは1階、2階両トイレのペーパーがラスト一個をホルダーに挿したところで買い足していましたが、今回買い足した直後に起きた騒動でしたのでなんとか不足なく過ごすことが出来ました。しかしその気になれば無駄に使うことなく長持ちさせられるものだなと(笑)。あるのが当たり前に思っていましたが、こんなこともあり得るのだなぁと、このまま資源は大切に使うように、また不足している時に慌てて探し回らなくていいように、皆が普段から少しストックを持っておいた方がいいのかもしれませんね。

 

さて、本日3月9日は我が家の愛犬つきちゃんの2歳の誕生日です。相変わらずお散歩はなかなか先に進みませんが、人が大好きで構ってもらえる人を見つけるとデレデレして、ありがたい事にみなさんにかわいがっていただいてます。いっとき心臓が悪いと言われたり肝臓が悪いと言われたこともありましたが、今は元気いっぱりモリモリ食べて、体重も8.2キロになって少しダイエットしないといけないくらい成長しました。

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うちに迎えた日のつきちゃん。体重は3.8キロでガリガリでしたね。毛もスカスカでおハゲがありました。今ではすっかりモフモフでグラマラスになりました(笑)。

我が家では大したことはしませんが、ちょっとしたプレゼントを…

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袋の中身は新しいフードボールとおやつです。

今日は特別にデザート付きですよ〜

スイートポテトを作りました。

喜んでくれて良かったです。

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ついでに飼い主用のデザートも(笑)

 

また3月7日は父の五七夜の法事をしました。

読経後のお坊様のお話に、何故こうして2週間おきに(本当は1週間おきですが)法事をするのかを教えていただきました。勿論故人を弔うことが第一ですが、残された者は普段通りに生活していても心は想像以上にダメージを受けているそうです。それを自分一人で受け止めるには荷が重く心が壊れてしまいますが、それを法事で集う親戚縁者皆で悲しみを分け合って、なんとか早く悲しみから抜けられるようにする意味もあるそうです。なるほど、考えてみれば本当そうです。一人であれこれ考えていると思い出して泣けてしまうこともあるけれど、皆んなで一緒にご飯を食べて話しているうちに涙も乾いて普通に笑えるようになっています。私自身も家族がいて、つきちゃんがいてくれてどれ程救われていることか…感謝しかないです。

何かで読んだのですが、

「親を亡くすことは過去を失くすこと。

つれあいを亡くすことは今を失くすこと。

子どもを亡くすことは未来を失くすこと。」

だとしたら私よりも残された母のほうがずっと辛い思いをしてるはず。私たちが父に出来る恩返しは母を大切にする事、父の始めた和菓子屋を守る事だと思い兄と頑張っています。泣いてる暇なく忙しく過ごさせてもらい、とりあえずこの1ヶ月は昨年より多い売り上げがありました。きっと父が陰ながら応援してくれているのだと思います。これからも父に応援してもらえる生き方をしていかないといけないですね。

 

最後に、つきちゃんの本当のお父さん、お母さん、兄弟の情報はないので探すこともできませんが、劣悪な環境で子を産むだけの生活ではなくて、普通に幸せに暮らしていてくれたらいいなぁと願うばかりです。つきちゃんを産んでくれたお母さん犬に感謝の気持ちを込めて…これからも大切に大切にずっと一緒にいたいと思います。

ひなまつり

春らしくなってきましたが、今年は花粉症がひどくて目がかゆい今日この頃です(笑)。

最近はコロナウィルスであちこち混乱していますね。高校生の娘はマレーシア研修も出発の4日前になって中止が決定され、今日から13日まで休校となりました。色々なイベントが中止になり、14日のバックナンバーのファンミーティングもきっと中止になるだろうな。マスクも手に入らない状況も続いてるし、色々と残念ですが今はみんなで一致団結。騒ぎすぎず冷静に、助け合ってこの局面を乗り切って、早く普通の生活に戻るといいですね。

 

さて、今日は3月3日のひなまつり。

我が家の姫のごはんも一応お祭りぽく。

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ササミの煮汁のお粥に茹でたサーモン、卵焼き、ササミと菜の花でちらし寿司風に。
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こちらは飼い主用の晩ご飯。今日はなんとデザート付き!

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さらに旦那さんが仕事帰りにタルト買ってきてくれました。娘と太るやん!と言いながら美味しくいただきました。

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しろくんも今日は賑やかで喜んでるかな。

父が50年前に買ってくれたお雛様、今年は一層愛おしく思います。今まで気づかなかった父への感謝が溢れています。

導き。

父が急逝して3週間。あまりに急だったので信じられない気持ちでいっぱいでしたが、ようやく父の不在を実感することが多くなりました。

今日はようやくお雛様を出したのですが、私の生まれた年にどんな気持ちで選んでくれたのかなぁとか、このパンを好きで良く食べていたなぁとか、つまらないことでいちいち父のことを思い出してしまいます。結婚して初めの10年は離れて暮らしていましたが、主人の転勤で京都に戻ることができ、それからは毎日実家に通って一緒に仕事し、お昼ご飯を食べ、子供たちとも一緒に過ごすことができたので、人よりは一緒にいた時間が長かった分思い出が多くてしんどいこともありますが、それはお互いに幸せなことなんだなぁと思ったりもします。

84歳の年老いた父でもこんなに淋しく思うのに、我が子を失くした親の辛さ、早くに親を失くした子供たちの哀しみは計り知れないものだと思います。そうやって哀しい思いを経験して人の哀しみに寄り添える人になりなさいと、今なお亡くなった父から教わってる気がします。これからも一つひとつ喪の仕事を終えるごとに故人から何か大切なことを教わっていくのですね。

 

父の入院、葬儀は息子の大学入試真っ只中でした。本命の大学の入試から帰った日にお通夜があり、ちょうど2日間空いたところに葬儀を行い、翌日はまた入試というゴタゴタの中でもなんとか休まず受験出来たのは父の配慮だったのかなぁと思ったり。

生きている間に朗報を聞かせてあげられなかったけど、息子は母ひとりになった実家から自転車で10分かからないところからスクールバスで10分程の大学に通うことになり、基本実家で母と暮らし、たまにこちらの家に帰るという生活になりそうです。本当は本命の大学は他にありましたが、スクールバス乗り場が父の魂が最後に行ったと思われる場所にあるので、何かしら因縁のある場所なのかもしれません。父が導いてくれたならきっと息子にとってよい結果に繋がるのではないかと思います。

入試のシーズン、第一志望の学校に合格出来た方、残念ながらそうならなかった方もいらっしゃると思いますが、目に見えない力で導かれた先が一番自分にふさわしい場所なのではないかなと。言い換えれば真面目に努力すればそこが自分が望んだか望んでないかに関係なく、必ずふさわしい場所に導いてもらえるものと思います。父の亡くなるタイミングや息子の進路など、全ては成り行きというか、自分の力の及ばない力で動かされているのかなぁって、そんな気がする出来事がたくさんありました。これから起こることは良いことも悪いこともきっと何か意味のあることだと思うとなんだか楽しみです。

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ようやく落ち着いたので以前にいただいた可愛すぎるお菓子をみんなでいただきました。見た目も素敵ですが、とても美味しいお菓子でしたよ。ご馳走さまでした!

 

父の勝ち

今日は備忘録として父のことを書きたいと思います。

1月25日くらいから熱はないものの風邪をひいたかなぁと近くの内科にかかって風邪薬を服用していたのですが、一向に良くならず、1月31日金曜日に母の付き添いで少し大きな病院に診てもらったところ心筋梗塞の疑いがあるとのこと、そこの病院から処置の出来る大きな病院へ救急搬送されました。よく事情がわからないまま入院の準備をして兄と病院に向かいました。

その日は少し風邪が長引いているなぁという感じでしんどそうではありましたが、そこまで深刻なこととは気づかずに、父は予約の時間までにまだ余裕があったので餡を炊くなど仕事を終わらるくらい元気だったし、救急車にも自分で歩いて乗って行ったのですが…

 

救急搬送された先では、容体がかなり悪く、カテーテルでの手術をしようにも血小板の数値が極端に低いので、大量出血すると危険とのこと、土日安静に過ごして月曜日から検査等これからの処置を検討し、10日を目安に退院と聞いていたので安心してその日は帰りました。

次の日、お昼に病院に行ったところ、管につながれていてトイレも一人では行けないと不満を口にしていましたが、私に「悪いな、悪いな、もうすこし頼むな」と言って、気をつけて帰りやとベッドで寝ながら見送ってくれました。

翌日の日曜日はケータイを持ってきて欲しいと連絡があったので母と兄が行った時、温かいコーヒーを持って行くと美味しいと飲んでいたそうです。ただ、やはり管に繋がられているのが嫌なようで早く帰りたがっていたようですが、ワシがいなくてもご馳走食べたらいいんやでと帰りがけに声をかけて送り出されたそうです。

翌日の2月3日、仕事帰りの3時前に私が行ったのですが、トイレ行くのも酸素ボンベを携帯して、ヨタヨタしながら歩いていて、私に一言「もうあかんわ」と言ったので、これから検査して治療したらよくなるから大丈夫やでって言ったのですが、つらそうでしたので温かいお茶を買って飲ませ、寝かせてその場を離れました。

 

その日の夜の事です。

我が家では節分なので入試から帰宅した息子を待って恵方巻を食べ、鬼の面をかぶった娘につきが吠えるのをみんなで笑って見ていたのですが、6時半ごろに父の携帯から実家の母に電話があり、今上賀茂神社の横にいるから出てきて欲しいとのこと、あの状態で病院を抜け出せるはずもないので、おかしいと思いお店を閉めて7時頃母と兄と私とで病院に向かいました。

病室に着くと父の姿はなく、ナースステーションに行くと車椅子に座る父がいて、病室まで戻りました。なんでも立てないのに立とうとしたり、電話をかけたいのにかからないと訴えていたらしいです。

病室で私たちの顔を見るなり「遅い!」と大きな声で叱られました。そしてベッドに横たわってすぐに咳がとまらなくなったので処置が終わるまでと私たちは病室から出され、談話室で待つ事になりました。会って少し話して病室から出されるまでほんの5分程度でした。

その後30分待っても声がかからず、着替えたりトイレに行っているのかなとしか思ってなかったのですが、担当の先生から別室に呼ばれ、大変危険な状態で、延命措置を望みますか?と聞かれました。私たちは状況を把握できず、説明を聞くと、咳をした時に肺胞から出血していること、血小板が少なく出血が止まらないこと、すでに血圧が40台まで低下していること、心臓マッサージをしたら肋骨や肺を傷つける可能性があること、すでに脳には酸素がいってない状態なので延命装置をつけても長くはいられないことを告げられました。

少しでも長くいて欲しい気持ちでいっぱいでしたが、その時の状態は息が出来なくて水の中で溺れているような感じかもしれませんと言われたので、苦痛がない選択をと延命措置はせず自然に任せることにしました。

説明後、父のもとに行くとすでに血圧も14まで低下し意識もありませんでしたが、すごく穏やかな顔をしていました。すぐに子どもたちを呼びましたが、待たずに10分程で息を引き取りました。

亡くなっても聴覚だけは最期まであるときいていたので、みんなで感謝の気持ちを伝えました。

短気でせっかちな父らしく、あっけない最期でした。

 

後になって考えてみると、秋くらいから実家の外壁を塗り直したり、業務用の冷凍庫やボイラーを買い替えたり、10月末には母の実家のお墓参りに行って親戚回りをし、12月には施設にいる父の姉に会いに行ったり、無意識のうちにやるべきことを済ませていたのかもしれません。それに最後の電話で上賀茂神社にいるって言ったのが不思議でしたが、そこは母と結婚式をあげた神社なので、最後魂がそこに行っていたのではないかなぁと想像してみたり。全て落ち着いてから父のケータイの発信履歴を見たら実家の下4桁だけ入力した履歴がその日の6時すぎから20回くらい残されていました。きっと自分の死期を悟って何度も電話をかけようとしても届かず、看護師さんに番号を押してもらい、私たちが到着するまで待っててくれたのだと思います。

 

いつもせっかちで仕事に厳しい父の無茶振りにしんどく思ったり、反論すると3倍になって叱られてしまうので、父の言うことをいい加減に聞くこともあったし、嫌悪感を抱くことも正直ありました。

でもこんなにあっけなく逝ってしまうなんておもってもなかったので、今父にはもっと優しくしてあげたら良かったとか、もっと色々教えてもらったら良かったとか、反省と後悔ばかり。そして不思議と思い出すことは全ていいことばかりで、感謝してもしきれない父の存在の大きさだったりします。いつもワシの言うことは聞かんなと怒っていた父の圧勝です。

亡くなる4日前までしんどいのを我慢しながらも仕事していた父、最後まで自分の足で立とうとしていた父、最後まで厳しい中にも優しかった父、本当に私たちになんの手を煩わすことなく潔く逝ってしまった父…きっと病院で仕事も出来ず、管に繋がられ、トイレも自由に行けない情けない姿を見せるのが嫌で、はやくみんなのいる家に帰りたかったのだと思います。

いつか祖母の法事の際にお坊さんが、親は最後自分の死をもってその生き様を子どもに教えるのですよ…とおっしゃっていましたが、失くしてからその大切さを知るものだと身を持って教えてもらいました。

いつでも、誰に対しても誠実に、一生懸命に、後悔のないように…

 

覚悟する暇なく急いで逝ってしまい、今も信じられない気持ちがありますが、生涯現役で仕事が出来、母と兄と私も一緒に仕事して、5人の孫と楽しく過ごすことが出来たのは父には幸せなことだと思います。

仕事ばかりの人生でしたので、これからはゆっくりやすんで欲しいのですが、せっかちで寂しがりやの父のことですのでまたすぐに生まれ変わってどこかで会える気がします(笑)